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読売新聞 「現世お墓考」に思う




   お彼岸のお中日である3月20日から5回にわたって読売新聞に「現世お墓考」というタイトルの記事が連載されました。

   様々なライフスタイルが認知される今日において、従来と変わらないお墓のあり方では、そのニーズに対応し切れなくなっている、としてお墓の現在を考えるというものでした。

   掲載順にサブタイトルを見てみますと、

大胆な選択 「火葬後、骨は捨てて」 
生前契約で墓も作らず 
女性用永代供養墓 
自分で行き先決めたい 
生きている間の心の支えに
地方からの改葬 
夫のお骨身近に移し安心 
受け入れ寺院の説明に納得 寺
院墓地 
街中の便利さ、負担も 
お布施、維持費用・・事前調査を
寺との付き合い 
心のつながり希薄に 
檀家制とらない形摸索も


とあり、様々な実例を紹介しています。実例からは、既成のお墓のあり方に縛られず「自分で納得したものにしたい」という思いが感じられ、私達僧侶にとっても考えさせられる点が多くありました。

   そんな中で、墓地を選ぶにあたって自分のライフスタイルや自分のニーズに合致しているかが優先されている点が、私達僧侶、寺院への課題として指摘されているように思えたのです。

   元来、寺院の墓地はそのお寺の属する宗派の教えを信ずる者のために提供されていたはずであります。それ故に寺院の墓地はその教えに則った形の墓所が建立され、法要儀式が執り行われていたのでしょう。しかし、ライフスタイルが優先されると利便性や費用が寺院の宗教性、教えより重きをもって考えられるようになっているようです。

   このような墓地優先でのお寺との付き合いとなるとどうしても表面的にならざるを得ず、記事の中でも指摘された通り「心のつながり」が「希薄に」なるのも無理からぬ事でしょう。また僧侶と接する機会が葬儀や法事の時に限られると、金銭的なつながりが強調され、そのことに疑問や不満が生じるのです。

   最近よく耳にする「葬儀不要」「僧侶不要」「仏教不要」といった声もこのような所にも一因があるのかもしれません。

   しかし、単に社会状況が変わったことを言い訳にしていては何の進展もありません。「僧侶の側も戒名やお布施の意味をわかりやすく説明する努力を惜しんではならないでしょう」と指摘されているように、檀家制度の上にアグラをかいた旧来の寺院のあり方に安住していては、寺院と門徒(檀家)とのつながりは更に希薄になり、信頼関係の回復も無いです。

   「まずお墓あり」ではなく「仏教の教えに立脚した」付き合いが出きるよう、私のあり方を問い直していかなくてはならないでしょう。




藤井 芳弘    






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